2011年1月4日

毎日新聞社・週刊エコノミスト編集部のご好意により、
2010年11月15日号に掲載した原稿を再録させて頂きます。


ユーロ安で絶好調のドイツ


毎日新聞社 週刊エコノミスト 2010年11月15日号掲載

 「奇跡と呼ぶのは言いすぎだが、XLサイズの景気回復であることは間違いない」。今年8月13日、ドイツ連邦経済技術省のライナー・ブリューデルレ大臣は、第2・四半期の経済成長率について、こう述べた。

 この日連邦統計庁は、今年4月から6月にドイツの国内総生産が第1・四半期に比べて2・2%増えたことを明らかにした。3ヶ月間の成長率としては、1990年のドイツ統一以来最高の数字である。第1・四半期の成長率はまだ0・5%にすぎなかった。(グラフ1参照)ブリューデルレ氏は「これほどの成長率が可能になるとは思わなかった。経済回復のテンポは、これまでの予想を大きく上回っている」と顔をほころばせた。

 GDPを大きく押し上げたのは、外国での需要の急激な伸びである。特に好調なのがドイツ経済の屋台骨ともいえる自動車業界。ドイツ最大の自動車メーカー・フォルクスワーゲン社は「2010年の1月から8月までに販売台数が13・4%増加した」と発表。特に米国で販売台数が22・1%、中国で41%、インドで125・5%増えるなど、海外市場での伸びが目立った。

 ダイムラーでは、今年第2・四半期の売上高が前年同期に比べて28%増加した。Sクラスなどの高級車に対する需要が増え、米国での売上高は21%、中国では182%も増加している。BMWでも第2・四半期の売上高が18・3%増加し、利益は前の年の同じ時期に比べて約7倍に増えた。

 この国の基幹産業の一つである化学業界も、業績を回復した。ドイツ化学工業連合会(VCI)によると、第2・四半期の売上高は第1・四半期に比べて5・2%増加したが、特に外国での売上高が6・3%伸びている。VCIは今年の売上高が、去年に比べて18%増えると予想している。VCIのウルリヒ・レーナー会長は「我々は迅速なカムバックによって、金融危機の悪影響をほぼ完全に克服した」と宣言した。

 景気回復は雇用状況をも急速に改善させている。2009年4月には8・6%だった失業率は、今年7月の時点で7・6%に下落。失業者数が約39万人減ったことになる。政府は年内に失業者の数が300万人台を割り、過去19年間で最低の水準になると予想している。

 ドイツは、リーマンショック後のグローバル不況によって最も深刻な影響を受けた国の一つである。連邦統計庁によると、ドイツの2009年のGDPは、4・7%も減少した。この国が戦後経験した、最悪のマイナス成長である。ドイツが日本と同じく資源が少ない貿易立国であり、輸出依存度が高いことが裏目に出た。特に自動車産業と化学産業は国外需要の急減に直撃されて、生産の大幅縮小を余儀なくされていた。だがドイツ製造業界のリーダーたちは、早くも不況のトンネルを抜け出したという楽観論に傾いているのだ。去年5月、国際通貨基金(IMF)はドイツの2010年の成長率をマイナス1%と予測していた。これに対しブリューデルレ経済大臣は「GDPが2・5%以上増加するのも夢ではない」と、はるかに前向きな見通しを打ち出している。

 国外での売上高が増えている背景には、中国やインドでドイツの製品に対する需要が高まっていることの他に、急激なユーロ安もある。(グラフ2参照)2009年9月には1ユーロ=1・43ドル前後だった対ドル交換レートは、1年間で約10%下落して、1・28ドル前後に落ち込んだ。円に対しては、約19%も安くなっている。今年前半に深刻化したギリシャなどの債務危機のために、ポートフォリオからユーロ建ての投資を減らす投資家が増えたためである。ドイツの輸出産業にとって、このユーロ安は福音となった。

 その理由は、製品を国内で組み立て米国やアジアに輸出するドイツ企業にとって、過去3年間のユーロ高が大きな頭痛の種だったからである。2000年9月に1ユーロ=0・89ドル前後だった対ドル交換レートは、8年後には約64%上昇して約1・46ドルに達した。筆者は去年7月に、ドイツ南部のある機械メーカーを訪れて、国際販売部長をインタビューした。彼は「わが社は製品の大半をドイツ国内で組み立てて米国やアジアに輸出していたので、ここ数年間のユーロ高は大きな問題でした。そこで米国で競合相手を買収して現地生産を行うことによって、為替リスクを減らしています」と語っていた。

 9月2日、フランクフルトの欧州中央銀行は理事会を開き、政策金利を現行の年1%という歴史的な低水準のまま据え置くことを決めた。その理由は、ユーロ圏内のインフレ懸念が依然として低いこと、そしてギリシャやスペインなど南欧の国々が実施している財政緊縮措置が、景気回復にブレーキをかけることを防ぐためだ。

 欧州中銀の幹部は、特定の通貨の交換レートについて絶対にコメントしないことを不文律としている。彼らの一言が世界の外為市場の動向に甚大な影響を及ぼしかねないからだ。この日記者会見に臨んだジャン・クロード・トリシェ総裁も、ユーロ安については全く言及していない。記者団も「ノーコメント」という答えが返ってくることがわかっているので、交換レートについての質問はしない。

 しかしトリシェ総裁も「グローバルな規模で進みつつある成長は、ユーロ圏の輸出への需要に影響を及ぼしている。このことは、緩和的な金融政策や金融市場の機能を回復させるための措置とともに、ユーロ圏の経済を支え続けるだろう」と述べ、間接的に輸出がユーロ圏の景気回復につながっていることを認めた。

 だがドイツの輸出増加を、ユーロ安だけで説明することはできない。この国の輸出の43%はユーロ圏内向け。域内での取引については、交換レートの変動は全く影響を及ぼさない。

 また、他のユーロ圏加盟国の4−6月の成長率がドイツよりもはるかに低いことに注目する必要がある。EU統計局の調べによると、第2・四半期のフランスのGDP成長率は0・6%、イタリアは0・4%と、ドイツに大きく水を開けられている。(グラフ3参照)ユーロ安だけが経済成長の主な起爆剤だとすれば、ドイツ以外の国でも成長率はもっと高くなっているはずだ。

 ドイツ銀行の経済研究所ドイッチェ・バンク・リサーチは、成長率の格差を製品の国際競争力の違いによって説明する。ヤン・フィリップ・ハイネマン研究員は「フランスやイタリアなどの国民1人あたりの輸出額は、ドイツの半分にも満たない。これらの国の製品の価格や品質に、ドイツの製品ほどの魅力がないことが原因だ」と指摘している。

 私は9月中旬に、バイエルン州政府で経済問題を担当している官僚に、ドイツの高成長率の背景について話を聞いた。「ユーロ安だけではなく、賃金の伸び率にも眼を向けるべきだ。ドイツの賃金の伸び率はユーロ圏内で最低の水準にある。このこともドイツ製品の国際競争力を高めることにつながっている」。連邦統計庁によると、2000年から10年間にEU加盟国の平均賃金は35・5%増加したが、ドイツの賃金上昇率は21・8%と平均を大幅に下回った。社会保険料など企業が負担する賃金付随費用も、EU平均の伸び率が38・5%であるのに対し、ドイツは9・3%にとどまった。

 もちろんドイツが依然として高コスト国であることは間違いないが、その傾向に変化が現れつつある。たとえば1996年にはドイツの製造業界の1時間あたりの労働コストはEU加盟国の中で最も高かったが、ドイツ経済研究所によると2007年には第5位に下がっている。「ドイツの労働組合が他国の組合ほど大幅な賃上げを要求しなかったことが、いま競争力の改善という形で実を結んでいるのだ」。バイエルン州の官僚は上機嫌で言った。

 だがドイツはこの独り勝ちのような状況を、手放しで喜んでいるわけにはいかない。他のEU加盟国からドイツの貿易黒字について不満が強まっているからだ。フランスのクリスチーヌ・ラガード財務大臣は今年春「ドイツは輸出一辺倒で、周辺国からの輸入が少なすぎる。メルケル政権は税金と社会保険料の引き下げによって内需を拡大し、周辺国からの輸入を増やすべきだ」と批判した。欧州には、「ドイツのように貿易黒字が多い国と、ギリシャのように製品の競争力が弱く慢性的に貿易赤字を抱えている国の間の格差が大きいことが、債務危機の間接的な原因の一つだ」として、不均衡の是正を求める意見がある。

 さらに現在のような輸出依存体質は、将来中国などで景気にかげりが出た場合や、リーマン・ショックのような事態によって世界的な不況が再発した時に、ドイツ経済に再び大きなダメージを与えるという懸念もある。昨年のマイナス成長の後遺症から完全に立ち直った時、いかにして内需を活性化させるかがドイツ政府にとっては重要な課題となるだろう。

 

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 数値データ

ドイツの実質GDP成長率

(資料・ドイツ連邦統計庁)

2008年第1・四半期 1.4

2008年第2・四半期 ―0.7

2008年第3・四半期 ―0.4

2008年第4・四半期 ―2.2

2009年第1・四半期 ―3.4

2009年第2・四半期 0.5

2009年第3・四半期 0.7

2009年第4・四半期 0.3

2010年第1・四半期 0.5

2010年第2・四半期 2.2

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ユーロの対ドル交換レートの変化

(資料・欧州中銀)

1999年1月 1ユーロ=1.1789ドル

2000年9月 1ユーロ=0.8902ドル

2001年9月 1ユーロ=0.9072ドル

2002年9月 1ユーロ=0.9821ドル

2003年9月 1ユーロ=1.0965ドル

2004年9月 1ユーロ=1.2168ドル

2005年9月 1ユーロ=1.2388ドル

2006年9月 1ユーロ=1.2851ドル

2007年9月 1ユーロ=1.3632ドル

2008年9月 1ユーロ=1.4621ドル

2009年9月 1ユーロ=1.43ドル

2010年9月 1ユーロ=1.28ドル

 

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ユーロ圏主要国の4−6月GDP成長率

(資料・欧州統計局)

ドイツ2・2%

オーストリア 0・9%

オランダ 0・9%

ベルギー 0・7%

フランス0・6%

イタリア0・4%

スペイン 0・2%

ポルトガル 0・2%

ギリシャ ―1・5%